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園庭の植物紹介❀
見学をご希望の方へ
見学は9月から開始いたします。
8月に予約を受け付けますので、お電話にてご予約下さい。
あいさつ当番
子供はいつか大きくなり、親元を離れ社会に出て生きていかなくてはなりません。
私たちは、その自立を支え促していくのが務めです。
社会に出て生きていくためには、他人と関わっていくことが必須です。
そこで大切なことがあいさつです。あいさつは人間関係を形成する上で、最も基本的なことです。
これから先の将来においても、他人と関わり生きていく上で欠かせないものです。
明るいあいさつは良好な人間関係を育み、豊かな人生をもたらすのに大切なことです。
教育の第一人者といわれる森信三先生のしつけの三原則に「あいさつ」「はいの返事」「はきものを揃える」
と言われるよう、あいさつは幼児期に身につけておきたい最も大切なことの一つです。
島根保育園では自分から挨拶ができることを目的に、あいさつ当番活動を行っております。
朝玄関で元気な声を出してあいさつをすることで、あいさつをすることの楽しさ、あいさつを返してもらった時の嬉しさや、
気持ちよさを感じて身につけられるようにすることを目的としております。
ちょっと恥ずかしがり屋で大きな声を出すのが苦手な子も、お友達が楽しそうにあいさつをしているのを見て、
ぼくもやってみようかな、わたしもやってみようかなと思ってもらえるよう楽しく取り組んでおります。
履物をそろえる
島根保育園で大切にしていることの一つが「履物をそろえる」です。
園では自分の履物をそろえることはもちろん、友達の履物が乱れていたら、それもそろえるようにしよう。そして、家に帰ったら、自分の靴はもちろん、家族の靴もそろえるようにと伝えています。
これにより、履物がいつも綺麗に揃っているようにしたい。そんな思いで取り組んでいます。
履物をそろえることは、物事の後始末をきちんとすることです。立ったら椅子を中に入れる。出したものは元のところにしまう。開けたものは閉める。などなど同じことです。後始末の習慣をつけることです。
これができないと締まりのない生活になるといわれます。履物をそろえることで、後始末がきちんとできる良い習慣を身につけたいものです。
ご家庭でも、履物をそろえることに、家族で取り組んでいただけると、子供にいい習慣がつくものと思います。口うるさく言うのではなく、黙ってそろえておく。
それをいつも見ていると、そろっていないことはおかしいと思い、そろえるようになると思います。
どこの家庭に行っても履物がそろっている。そんな社会であるといいと思います。
最後に以下は子供たちが唱和している詩です。
「履物をそろえる」
履物をそろえると 心もそろう
心がそろう時は 履物もそろう
脱ぐ時にそろえておくと
履く時に心が乱れない
誰かが乱しておいたら
黙ってそろえておいてあげよう
そうすればきっと世界中の人の心もそろうでしょう
自然を大切にする心
地球上の生物は互いに共存して生きています。私たち人間もまた同じです。
私たちはこの地球で生きていく上で、環境を守ることや自然を大切にする心を、持たなければなりません。
子供たちに思いやる心、命、もの、そして自然を大切にする心を育むこと、そしてそのための体験の場を作る事が必要です。
野生の生き物に出会える自然の草地や池、それらが自然に生存する環境がビオトープです。
子供たちにそれらを観察できる環境、園庭の限られた面積であっても、自然に触れられる環境を大切にしています。
屋上の菜園では、農薬や化学肥料を使わないおいしい野菜作りも体験します。自分で育てた野菜はひときわ美味しいものです。
苦手なものでも自分で作った野菜なら食べられるかもしれません。
また、栽培活動を通して食べ物を大切にする心を育むと同時に、このことが虫や鳥などの野生の生き物が自然と寄りつき、暮らしやすくなる環境であることも学べる体験です。
ものを大切にする心もまた身につけたいことです。ものはこわれたらすぐに新しいものを買うのではなく直して使う、必要のないものは買わないなど、ものを大事に長く使う態度は、子供たちに物を大切に使う心を育みます。
ものを大切にする心は生き物を大切にする心、人を大切にする心に繋がります。
ものを大切にすることは、資源の無駄遣いとごみの発生を減らし、自然の生態系への負担を減らすことができる身近な工夫の一つです。
電気やガス、水などのエネルギーを無駄遣いの無い様に使うことも、幼児期に伝えたい大切なことです。
体育活動について
島根保育園では体育活動として主に3歳から、毎日かけっこや体操を行っております。
体を動かす機会がめっきり減った現代の子供たちですが、社会の環境が変わってきているので仕方のないことかもしれません。
公園で遊んでいる子どもを見かけることもほとんどありません。たまに見かけても友達と一緒にゲームをしているということも多々あります。
だからこそ能動的に体を動かす機会を作ってあげなければいけません。
毎日の活動の中で柔軟体操やかけっこ、逆立ち等を行っております。逆立ちや跳び箱ができるようになることが目的ではありません。
結果としてできるようになるのです。
たくさん体を動かし健全な体を育みたいと思います。健康な体は生きる力の土台です。体育を行うことは健全な体を作り、生きる力を育みます。
体育には以下のような目的をもって行っております。
・体育好きになる(運動が得意な子は体育が好き、苦手だと体育の時間が辛い時間になる)
・自分の身を守る(しなやかな柔軟性、転んでも手が出せる、危険回避ができる。全くケガをしない子を育成しているのではありません。大きいけがをしないためには小さいケガをすることは必要な経験です。小さいケガをする機会をなくしてしまうことはもっと危険なことです。)
・小さな成功体験を繰り返す(できなかったことができるようになる、この体験の積み重ねが、将来の自信につながる、努力すればできる、色々なことに挑戦できる子に)
また体育を通して次の事を身に着けてほしいと思います。
・転んでも泣かない
・最後まであきらめない
・大きな声を出す
・友だちを応援する
決して特訓をしているわけではありません。無理をせず楽しく出来るように取り組んでいます。
その結果、子供たちはいろいろなことが出来るようになってきます。出来ることは面白いのです、面白いからまた練習する、
練習するから出来るようになる、出来るようになると大好きになる。この繰り返しで上達していきます。
子供の可能性は無限です。出来る限りその芽を広げてあげたいものです。
体育を通して、健康な体を育み、たくさんのことに挑戦し、心も身体も強くたくましく成長していってほしいと思います。
英語に親しむ
世界には約70億人程の人々がいます。そして英語を第一言語としている国は12か国(約3億9千万人)程だそうですが、
英語でコミュニケーションをとれる人口はというと約17.5億人、驚くべし4人に1人が英語で意志疎通ができるそうです。
英語が話せれば世界中の人々の4人に1人とは話ができるということです。なんだか楽しくなりますね。
といってもまずは日本語を正しく使えるようになることが大切、というのはもっともなことですが、
耳がいいといわれる幼児期に英語にも触れさせたいものです。
島根保育園ではこの幼児期に英語に触れる機会をもてるよう、英語DVDを鑑賞したり、英語のうたを歌ったり、
ネイティブの講師を招いての月1回程度の英語教室を行っております。
英会話ができるようになるまでを目的にしておりませんが、英語に触れ、親しむ機会を持つことが、
これからの英語に対する前向きな意識につながればと考えております。
また、ネイティブ講師の異文化を持つ人との関わりにより、自分の国と違う文化があることを知ること、
違う考えがあることを考えるきっかけになったらいいと思います。
子供たちにとって英語は勉強ではなく、楽しいものであってほしいと願っております。
東京都認可保育園 足立区の島根保育園HPリニューアル致しました
東京都認可保育園 足立区の島根保育園HPリニューアル致しました。
引き続き、保護者様、入園希望の親御様向けに情報配信してまいりますので
どうぞよろしくお願い致します。
子育て情報「背中で教えろ」
子育てかわら版
島根保育園
履き物を揃える・立ったらイスを中に入れる
園で毎日唱和しています。これは後始末の大切さを言っています。
当たり前のように自然にできるようにしていきたいものです。
相手より先に挨拶ができる
これも毎日唱和しています。「ごあいさつは!」と押し付けるのではなく、「ごあいさつしようね」などと促すほうがいいようです。何よりも大人が見本を見せることも大切と思います。
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腕でなく、口でなく、背中で教えろ!
(中村文昭 著 「人との出会いででっかく生きろ」より抜粋)
お年寄りには絶対に席を譲るという「普通」、細かいプラスチックまできちんとゴミの分別をするという「普通」、毎日、奥さんに愛をささやくという「普通」・・・
その人にとって当たり前のことなら、どんなに周りと違っていても、それがその人の生き方を決めている大切な「普通」です。
僕には二人の息子がいます。5歳と4歳の男の子です。
この二人に、僕たち夫婦は、僕たちの考える「普通」をプレゼントしたいと思いました。
自我が芽生えて、自分たちの意識が出来てくる前に、彼らの着地点というか、拠って立つところをきちんと与えておいてやりたいと思ったのです。
僕たちが考えた「普通」その一
「履き物をきちんと揃えること」
たかが靴という人もいるかもしれませんが、履き物は自分の全体重を支え、一生つき合っていく大事なものです。
僕らのポイントは、子供にそれを強要しないことでした。子供の周辺の大人たち、僕らの両親、僕と妻は、常にそろっている靴を子供に見せていこうと決めたのです。
子供にはそろっている靴だけをはかせるようにしました。子供がそろえなかったときは、「そろえなさい」と言わずに、黙って大人がそろえておいたのです。
そうすれば、親に言われなくても、そろっていない靴を履くことに気持ち悪さを感じるのではないかと、僕は思いました。
結果は上々でした! そろった靴しか履かないことを毎日毎日刷り込んだ結果、そろっていないことに違和感を持つようになったのでしょう。我が家のやんちゃなチビたちは、今では完璧に靴をそろえるようになりました。保育園では、人の靴までそろえているようです。
このごろそのクセは靴だけでなく、衣類にまで及んでいます。息子たちは風呂に入る時、脱いだ服を畳んでから洗濯かごに入れるようになりました。掃除も後片付けも、親が何も言わないのにできるようになりました。
僕たちが考えた「普通」その二
「挨拶」
これも生きていくための基本です。
「おはよう」「いただきます」「いってらっしゃい」
僕も妻も、ちょっとオーバーなくらい、日常の挨拶をします。ですから、息子たちはどこに行っても大きな声で挨拶します。
知らない人にもどんどん話しかけるので、少々心配になるくらいです。しかし僕は、もしかしたら、そうやって知り合いをたくさんつくっておくほうがいいのではないかとも思うのです。何かあったら、誰かが気づいてくれるのではないでしょうか。
現に我が家の食卓は、息子たちの挨拶でちょっぴり得をしています。
八百屋さんでもお肉屋さんでもスーパーでも、チビがお店の人に大声で挨拶するので、おまけをしてもらえるというのです。
「今夜のおかずの天ぷら、お惣菜屋のおばさんがくれたの。いつも大きい声で『こんにちは』って言えてえらいねーって。最近、うちのおかずが増えているのは、だいたい、もらいものなんだよ」
半分あきれながらニコニコしている妻を見て、子供もニコニコします。それを見て、「こいつら、一つのいいことが、どんどんつながっていく『いいことスパイラル』を、子供なりにわかってるんじゃないか」
僕はそう感じます。
人との出会いは、最初の数秒間で決まることもあります。そこで出せるものは、挨拶なのです。元気よく挨拶をしている息子たちを見ていると、「おまえら、塾に通っていい成績をとるよりもいい『人生のラッキーカード』をひけるんちゃうか」などと思っているところです。
子育て情報「厳しさは暴力を教えることに通じる」
厳しさは暴力を教えることに通じる
あるお母さんがこんな相談をなさいました。
「小学校6年の男の子と小学校4年の男の子がいるのですが、この二人はすごく仲が悪くて、毎日学校から帰ってくると、取っ組み合いのケンカをしている。正観さんは『声を荒げて怒鳴るな、怒るな』と言いますが、この二人の間に声を荒げて、割って入らなければ、この二人のケンカは止まらない。現実にそうしなくてはいけないのに、どうやって穏やかに毎日過ごすことができるのですか」
「その小6と小4の子供のケンカに、お母さんが大声をあげて、『ケンカをやめなさい』と割って入るのですね」
「そうです。そうしなければやめさせられません」
「大声で叫びながら、『なんてことするの』とか『だめじゃないの』と二人を説得してきたのですね」
「そうです」
この方は、目の前の気に入らない人がいたら、大声を出して、暴力的な態度と言葉で相手に言うことをきかせる、という方法を教え込んだのです。
この二人は、母親が教えてくれた方法をやっているだけ。それを母親がずっとやってきて、それ以外の解決方法を知らないのだから、気に入らない兄弟が目の前にいたら、取っ組み合いのケンカをするのです。
親がケンカに割って入って大声で怒鳴る、という方法をやっている限り、子供たち二人は、ずっと変わらないでしょう。
それを教えられた子供は、大きくなって結婚して、子供をもつと、怒って怒鳴って威張って、暴力的に声を荒げて、強権・強圧的に育てるという方法で教育する。
そして、その方法をずっと踏襲している家系は、何十代もずっとそういう方法だけで子育てがまかり通っていく。そして、その中に厳しい親子関係に耐えられなくて爆発する子供が、何十世代に一人、出るのです。
気に入らなかったら、周りの人間に暴力的に接しなさい、という方法論だけを教わった。そして、鬱積して、自分の心の中にたまって、どうしようもなくなったエネルギーが、親は暴力的だから直接には返せないので、そうではないもっと弱い人間に向けられる。
だから、暴力的な子育ての方法を改めないと、何世代か後の殺人犯を育てていることになってしまいます。感情をコントロールできなくて怒鳴ってしまっていることが、何十年か何百年か先の殺人犯を生んでいる。それが、因果関係としてわかったら、今日から怒鳴らないことをお勧めします。
皆さんは「子供がかわいい、孫がかわいい。これから、世の中に出てくる4代先、
5代先の子々孫々が、みんな平和で穏やかに人から憎まれないようになってほしい。
社会に旅立つときに、反社会的な行動をしないような子供になってほしい」と思って生きていることでしょう。そこまでは間違っていない。
でも、やっていることは逆です。社会に対して攻撃しろ、気に入らなければ暴力的に闘え、という教育を今日までやってきているのかも知れません。そのことに何十世代もの人が気がつかずに、ずっと同じ子育てをしてきました。
そういう子育てをすると、子孫にそれが出てしまう、ということに気づいてください。自分の世代にこれらを解決できたら、ものすごくラッキーです。
今日から、強権・強圧的にではなく、笑顔で穏やかに言う、伝えるということをやり始めたら、子供はどんどん変わります。
その事実にハッと気がついた人は、今、この瞬間から始めるといい。
もし、自分の子孫がかわいいのだったら、今やっている自分の態度を改めたほうがいい。そうしないと、子孫がかわいそうです。
「私が正しいことを言っているのに、子供が言うことをきかないのです。正しいことを言っているのだから、声を荒げていいでしょう」というのは、声を荒げていることのほうが問題。
「正しいことを言っているから声を荒げていい」という理論は、結果的に暴力的な子供を育てます。
人は“正しさ”よりも“好き”で動く
正論だから相手が聞いてくれるわけではない。子供がその親のことを好きだったら聞きますが、嫌いだから聞かないという因果関係だけ。
どうして嫌いかというと、感情がコントロールできなくて、すぐに怒ったり怒鳴ったり声を荒げたりするからです。
子供をきちんと育てるためには、声を荒げなくてはいけない、さらには殴ってでもきちんと育てなければという人がいます。しかし、正当な理由があるなら、殴ってもよいという理屈はありません。殴ってしまった瞬間に、気に入らない人がいたら、自分の思うとおりにするには、殴るという方法を教え込んだということになります。
だから、皆さんは、何があっても絶対に怒って、怒鳴って殴ってはいけない。言いたいことがあるんだったら、穏やかに、にこやかに言う。言うことをきいてくれなくてもいいのです。子供との関係は、言うことをきかせることではなくて、穏やかに、にこやかに言うという、その方法論を教えることのほうがずっと重要であって、言うことをきかせることが重要なのではありません。
この話を、今日でも明日でもいいですから、子供にしたほうがいい。そうすると「ほら、お母さん怒っている」「ほら、僕をひどいほうに導こうとしているよね」と言われるようになります。子供は必ずそれを指摘してくれます。
子供に対して怒鳴ったり、怒ったりという方法をやめる。それを教え込むことをやめる。そして、言いたいことがあるのだったら、笑顔で言う。
「お母さんがいないときに雨が降ってきたら、洗濯物を取り入れてくれると、お母さんうれしいんだけどなあ」というと、はじめは「ふん」といわれるかも知れません。それは母親が、そうやって怒鳴ってきたため、子供は、そのような親には共鳴はしない。
しかし、それを今日から改めて、絶対に怒ったり怒鳴ったりしないことにする。
「そういうふうにしてくれると、うれしいんだけどなあ」と言って、取り入れてくれないのだったら、濡れたものは自分で黙々と取り入れて、黙々とアイロンをかける。
そういうのを5回、6回やっていると、これを見ていた子供は、「あ、お母さんが変わった」とお母さんに好意を持つようになる。そうすると、お母さんが「洗濯物を取り入れてくれるとうれしい」と言ったら、取り入れようと思うようになるかも知れません。
母親が笑顔で優しく話すようになると、子供が母親に好意をもつようになる。そうすると10年間痛めつけられてきた子供も、わずか3ヶ月で母親に対する評価を変えます。
子供は天使です。10年間痛めつけられても、評価を変えるのに10年はかかりません。母親を好きになるのに3ヶ月くらいですむ。子供はそういう意味で天使であり、神さまなのです。
子供は、それが正しいかどうかで判断しているのではありません。母親が好きになったら、どんなムチャなことを言っても「はーい、喜んでやります」と子供は答えるかもしれません。
だから、母親を好きになったら、「勉強しなさい」と言わなくても、勉強するようになります。「お手伝いしてね」といっても「はーい」、「皿を洗うの手伝ってくれるかな」といっても「はーい」と答えるようになります。
とりあえず、お母さんが尊敬されるような生き方、要するに声を荒げない、穏やかに、にこやかに生きていくということを実践してみてはどうでしょう。
小林正観(こばやし せいかん)著
「そ・わ・か」の法則 より
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