育てたように育つ

 

 

出産が終わると、飽きるほどわが子の顔を見つめ、お父さんとお母さんは子どもの名前を一生懸命考えます。やさしい子に育ってほしい、人の痛みの分かる子に育ってほしい、など思いはさまざまですが、わが子の成長を願いながら一生懸命考えます。

 

でも、子供は一人で、やさしい子、明るい子、賢い子、人の痛みの分かる子に育つ訳ではありません。親がそう育てるのです。その子に関わっていく大人がそう育てるのです。

「抱っこして、辛いよ、寂しいよ、側にいて!」と訴える子どもに、手を差し伸べ、抱っこし、寄り添う親がいて、はじめてその子どもは、心地よさや安心感や信頼感を覚えるのです。

 

そうやって育った子が、将来、隣の席で泣いているお友達に「どうしたの?」って声をかけられる、優しい、人の心の痛みの分かる子に育ちます。

泣いても抱っこしてもらえず、声を掛けてももらえない子は、心地よさや安心感を感じることはありません。その喜びを知りません。そんな子が、どうして優しい子に育つことができるでしょう。

笑いかけてもらえなかった子が、どうして明るい笑顔のかわいい子に育つことができるでしょう。笑いかけ、話しかけて育てるから、ニコニコ笑う明るい子が育つのです。

 

最近はオムツが高性能になりました。三回分のおしっこをためることができるオムツがあるそうです。「三回まで大丈夫と書かれているから」と、実際に、三回までオムツを換えないお母さんがいます。

将来、その子が大人になり、お母さんを介護する側に回ります。そうやって育てられた子が、どうして「おばあちゃん気持ち悪いやろ。オムツ替えようね」と言えるでしょう。「まだ二回だから大丈夫だよ、おばあちゃん我慢しとき」としか言えないのです。

 

人は、見たこと、聞いたこと、経験したこと、学習したことしかできません。子どもは一人で育つわけではありません。

子どもは育てたように育ちます。

内田美智子著 「ここ」 (西日本新聞社)より

 

 

育てたように子は育つ (相田みつを

アノネ

親は子供を 見ているつもりだ

けれど

子供はその親を 見ているんだな

親よりもきれいな

よごれない眼 でね