「そうじ」はイヤなもの、と教えたのは?

島根保育園 園長 馬場幸男

 

島根保育園では、「自分のことは自分で出来る」ことをめざしています。

自分たちで使った部屋は自分たちで掃除もします。

そのひとつが毎日の雑巾がけです。(年長組が主にやっています)

食事の後、床を子供たちで雑巾がけをするのです。

 

数年前のことです。卒園にあたって子供たちに園での楽しかったことを聞きました。

「運動会が楽しかった」「ブロックで遊ぶのが楽しかった」など、色々ありましたが、

その中の一人の子供は、楽しかったことは、「雑巾がけ」と言いました。

その時は「へーーそうなんだ・・・」と思ったのですが、

その子にとっては、みんなで並んで雑巾をかけることが、楽しいことであったのでしょう。

 

その後、思ったのです。私たちはいつから「掃除」や「雑巾がけ」をイヤなものと思うようになったのだろうかと。

掃除は大切なことなのに、小さいときは楽しかったのに、「イヤなこと」、「誰もがやりたがらないこと」になっています。

どこかで、誰かが、「掃除はいやなこと」「やりたくないこと」と教えたのです。

そう思えてならないのです。

 

それは、私たち大人なのではないでしょうか。

何かの罰として、掃除をさせるなどは、まさに「掃除はイヤなこと」と教えているのではないでしょうか。そして大人が「掃除はやりたくない」「嫌いだ」と言ってはいないでしょうか。

 

少なくとも、幼児の時は「イヤなこと」ではなかったのです。楽しかったのです。この楽しかったことをもっと持続出来たら、楽しいとまではいかなくても、せめて「イヤなこと」ではない、「大切なこと」だと教えていたら、

そして、それが大人になっても続いていたら、世の中はもっときれいになるのではないかな、とも思うのです。

 

雑巾がけの目的は、綺麗にするだけではない  

園での雑巾がけは、単に掃除をして綺麗にすることだけが目的ではなく、腕の力、首の力をつける意味もあって、行っているものです。

転んで手をつかず、顔面をすりむいたりする、いわゆる顔面着地の子が多い昨今です。

今でもそのような子はいるのですが、だからこそ、少しでもそのことを防げるよう、自分の身は自分で守る、という意味も含めて行っているところです。