厳しさは暴力を教えることに通じる

 

 

あるお母さんがこんな相談をなさいました。

「小学校6年の男の子と小学校4年の男の子がいるのですが、この二人はすごく仲が悪くて、毎日学校から帰ってくると、取っ組み合いのケンカをしている。正観さんは『声を荒げて怒鳴るな、怒るな』と言いますが、この二人の間に声を荒げて、割って入らなければ、この二人のケンカは止まらない。現実にそうしなくてはいけないのに、どうやって穏やかに毎日過ごすことができるのですか」

 

「その小6と小4の子供のケンカに、お母さんが大声をあげて、『ケンカをやめなさい』と割って入るのですね」

 

「そうです。そうしなければやめさせられません」

 

「大声で叫びながら、『なんてことするの』とか『だめじゃないの』と二人を説得してきたのですね」

 

「そうです」

 

この方は、目の前の気に入らない人がいたら、大声を出して、暴力的な態度と言葉で相手に言うことをきかせる、という方法を教え込んだのです。

この二人は、母親が教えてくれた方法をやっているだけ。それを母親がずっとやってきて、それ以外の解決方法を知らないのだから、気に入らない兄弟が目の前にいたら、取っ組み合いのケンカをするのです。

親がケンカに割って入って大声で怒鳴る、という方法をやっている限り、子供たち二人は、ずっと変わらないでしょう。

それを教えられた子供は、大きくなって結婚して、子供をもつと、怒って怒鳴って威張って、暴力的に声を荒げて、強権・強圧的に育てるという方法で教育する。

そして、その方法をずっと踏襲している家系は、何十代もずっとそういう方法だけで子育てがまかり通っていく。そして、その中に厳しい親子関係に耐えられなくて爆発する子供が、何十世代に一人、出るのです。

気に入らなかったら、周りの人間に暴力的に接しなさい、という方法論だけを教わった。そして、鬱積して、自分の心の中にたまって、どうしようもなくなったエネルギーが、親は暴力的だから直接には返せないので、そうではないもっと弱い人間に向けられる。

だから、暴力的な子育ての方法を改めないと、何世代か後の殺人犯を育てていることになってしまいます。感情をコントロールできなくて怒鳴ってしまっていることが、何十年か何百年か先の殺人犯を生んでいる。それが、因果関係としてわかったら、今日から怒鳴らないことをお勧めします。

 

皆さんは「子供がかわいい、孫がかわいい。これから、世の中に出てくる4代先、

5代先の子々孫々が、みんな平和で穏やかに人から憎まれないようになってほしい。

社会に旅立つときに、反社会的な行動をしないような子供になってほしい」と思って生きていることでしょう。そこまでは間違っていない。

でも、やっていることは逆です。社会に対して攻撃しろ、気に入らなければ暴力的に闘え、という教育を今日までやってきているのかも知れません。そのことに何十世代もの人が気がつかずに、ずっと同じ子育てをしてきました。

そういう子育てをすると、子孫にそれが出てしまう、ということに気づいてください。自分の世代にこれらを解決できたら、ものすごくラッキーです。

 

 

今日から、強権・強圧的にではなく、笑顔で穏やかに言う、伝えるということをやり始めたら、子供はどんどん変わります。

その事実にハッと気がついた人は、今、この瞬間から始めるといい。

もし、自分の子孫がかわいいのだったら、今やっている自分の態度を改めたほうがいい。そうしないと、子孫がかわいそうです。

「私が正しいことを言っているのに、子供が言うことをきかないのです。正しいことを言っているのだから、声を荒げていいでしょう」というのは、声を荒げていることのほうが問題。

「正しいことを言っているから声を荒げていい」という理論は、結果的に暴力的な子供を育てます。

 

 

 

人は“正しさ”よりも“好き”で動く

 

 

正論だから相手が聞いてくれるわけではない。子供がその親のことを好きだったら聞きますが、嫌いだから聞かないという因果関係だけ。

どうして嫌いかというと、感情がコントロールできなくて、すぐに怒ったり怒鳴ったり声を荒げたりするからです。

子供をきちんと育てるためには、声を荒げなくてはいけない、さらには殴ってでもきちんと育てなければという人がいます。しかし、正当な理由があるなら、殴ってもよいという理屈はありません。殴ってしまった瞬間に、気に入らない人がいたら、自分の思うとおりにするには、殴るという方法を教え込んだということになります。

だから、皆さんは、何があっても絶対に怒って、怒鳴って殴ってはいけない。言いたいことがあるんだったら、穏やかに、にこやかに言う。言うことをきいてくれなくてもいいのです。子供との関係は、言うことをきかせることではなくて、穏やかに、にこやかに言うという、その方法論を教えることのほうがずっと重要であって、言うことをきかせることが重要なのではありません。

 

この話を、今日でも明日でもいいですから、子供にしたほうがいい。そうすると「ほら、お母さん怒っている」「ほら、僕をひどいほうに導こうとしているよね」と言われるようになります。子供は必ずそれを指摘してくれます。

 

子供に対して怒鳴ったり、怒ったりという方法をやめる。それを教え込むことをやめる。そして、言いたいことがあるのだったら、笑顔で言う。

 

「お母さんがいないときに雨が降ってきたら、洗濯物を取り入れてくれると、お母さんうれしいんだけどなあ」というと、はじめは「ふん」といわれるかも知れません。それは母親が、そうやって怒鳴ってきたため、子供は、そのような親には共鳴はしない。

しかし、それを今日から改めて、絶対に怒ったり怒鳴ったりしないことにする。

「そういうふうにしてくれると、うれしいんだけどなあ」と言って、取り入れてくれないのだったら、濡れたものは自分で黙々と取り入れて、黙々とアイロンをかける。

 

そういうのを5回、6回やっていると、これを見ていた子供は、「あ、お母さんが変わった」とお母さんに好意を持つようになる。そうすると、お母さんが「洗濯物を取り入れてくれるとうれしい」と言ったら、取り入れようと思うようになるかも知れません。

 

母親が笑顔で優しく話すようになると、子供が母親に好意をもつようになる。そうすると10年間痛めつけられてきた子供も、わずか3ヶ月で母親に対する評価を変えます。

 

子供は天使です。10年間痛めつけられても、評価を変えるのに10年はかかりません。母親を好きになるのに3ヶ月くらいですむ。子供はそういう意味で天使であり、神さまなのです。

 

子供は、それが正しいかどうかで判断しているのではありません。母親が好きになったら、どんなムチャなことを言っても「はーい、喜んでやります」と子供は答えるかもしれません。

 

だから、母親を好きになったら、「勉強しなさい」と言わなくても、勉強するようになります。「お手伝いしてね」といっても「はーい」、「皿を洗うの手伝ってくれるかな」といっても「はーい」と答えるようになります。

 

とりあえず、お母さんが尊敬されるような生き方、要するに声を荒げない、穏やかに、にこやかに生きていくということを実践してみてはどうでしょう。

 

小林正観(こばやし せいかん)著

「そ・わ・か」の法則 より