子育てかわら版

島根保育園

履き物を揃える・立ったらイスを中に入れる

園で毎日唱和しています。これは後始末の大切さを言っています。

当たり前のように自然にできるようにしていきたいものです。

相手より先に挨拶ができる

これも毎日唱和しています。「ごあいさつは!」と押し付けるのではなく、「ごあいさつしようね」などと促すほうがいいようです。何よりも大人が見本を見せることも大切と思います。

 

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腕でなく、口でなく、背中で教えろ!

(中村文昭 著 「人との出会いででっかく生きろ」より抜粋)

 

お年寄りには絶対に席を譲るという「普通」、細かいプラスチックまできちんとゴミの分別をするという「普通」、毎日、奥さんに愛をささやくという「普通」・・・

その人にとって当たり前のことなら、どんなに周りと違っていても、それがその人の生き方を決めている大切な「普通」です。

 

僕には二人の息子がいます。5歳と4歳の男の子です。

この二人に、僕たち夫婦は、僕たちの考える「普通」をプレゼントしたいと思いました。

自我が芽生えて、自分たちの意識が出来てくる前に、彼らの着地点というか、拠って立つところをきちんと与えておいてやりたいと思ったのです。

 

僕たちが考えた「普通」その一

「履き物をきちんと揃えること」

たかが靴という人もいるかもしれませんが、履き物は自分の全体重を支え、一生つき合っていく大事なものです。

僕らのポイントは、子供にそれを強要しないことでした。子供の周辺の大人たち、僕らの両親、僕と妻は、常にそろっている靴を子供に見せていこうと決めたのです。

子供にはそろっている靴だけをはかせるようにしました。子供がそろえなかったときは、「そろえなさい」と言わずに、黙って大人がそろえておいたのです。

そうすれば、親に言われなくても、そろっていない靴を履くことに気持ち悪さを感じるのではないかと、僕は思いました。

結果は上々でした! そろった靴しか履かないことを毎日毎日刷り込んだ結果、そろっていないことに違和感を持つようになったのでしょう。我が家のやんちゃなチビたちは、今では完璧に靴をそろえるようになりました。保育園では、人の靴までそろえているようです。

このごろそのクセは靴だけでなく、衣類にまで及んでいます。息子たちは風呂に入る時、脱いだ服を畳んでから洗濯かごに入れるようになりました。掃除も後片付けも、親が何も言わないのにできるようになりました。

 

僕たちが考えた「普通」その二

「挨拶」

これも生きていくための基本です。

「おはよう」「いただきます」「いってらっしゃい」

僕も妻も、ちょっとオーバーなくらい、日常の挨拶をします。ですから、息子たちはどこに行っても大きな声で挨拶します。

知らない人にもどんどん話しかけるので、少々心配になるくらいです。しかし僕は、もしかしたら、そうやって知り合いをたくさんつくっておくほうがいいのではないかとも思うのです。何かあったら、誰かが気づいてくれるのではないでしょうか。

現に我が家の食卓は、息子たちの挨拶でちょっぴり得をしています。

八百屋さんでもお肉屋さんでもスーパーでも、チビがお店の人に大声で挨拶するので、おまけをしてもらえるというのです。

「今夜のおかずの天ぷら、お惣菜屋のおばさんがくれたの。いつも大きい声で『こんにちは』って言えてえらいねーって。最近、うちのおかずが増えているのは、だいたい、もらいものなんだよ」

半分あきれながらニコニコしている妻を見て、子供もニコニコします。それを見て、「こいつら、一つのいいことが、どんどんつながっていく『いいことスパイラル』を、子供なりにわかってるんじゃないか」

僕はそう感じます。

人との出会いは、最初の数秒間で決まることもあります。そこで出せるものは、挨拶なのです。元気よく挨拶をしている息子たちを見ていると、「おまえら、塾に通っていい成績をとるよりもいい『人生のラッキーカード』をひけるんちゃうか」などと思っているところです。